WINO解散から再結成する2024年までの22年間のこと
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WINO LION DVD
前回【僕とWINOの黄金時代 – 「Not Alone」から『EVERLAST』- 解散まで】からの続き。バンド解散発表時の想いなどは【2002年の君へ – WINO “afterwords” 2025年12月28日】にも記載しているので読んで頂けると幸いです。
WINO解散以降、各メンバーの音楽を聴いていた?
WINOがメジャーデビューした1998年くらいはUKロックやブリットポップ、そのルーツを好んで聴いていたが、志向も徐々に変化していった。バンド解散時くらいの2002年にUKロックとして聴いていたのはTHE MUSICが最後になったかもしれない。その後、2003年くらいから好んで聴いていたジャンルはUSインディ・ロック、ポストロック、インディーエモ、ポストハードコア、エクスペリメンタル、マスロック、オルタナ・カントリーとかで、渋谷に合ったレコードショップのwarszawaやsome of usが紹介する音楽を特に聴いていた。
吉村さんがJUNとしてだったり、WINOの各メンバーが活動していたのを知っていたが、このような趣味の変化もあって、特に聴くことはなかった。唯一、ギターの外川さんがリリースしたTOGUAR『creepland』は購入した。音源とか佇まいからインディ・ロックに近いよう感覚もあって。
WINOのファンの方が主催されていた『WINO Night Presents EVERLAST 2005 ワイノとその時代』というイベントに参加。2005年3月25日に下北沢DJ BAR altotoで行われ、ギターの外川さんがTOGUARとして演奏も披露した。そのときに外川さん、ドラムの黒沼さんと初めてお話させて頂いた記憶がある。また、このイベントを通してWINOファンの方と交流したことも嬉しかった。
SUMMER SONIC 03 TOKYOでTHE STROKESが始まる前に久永直行さんが私の横を通り過ぎてステージ前方へ行くのを見たこともあった。もちろんお声がけはしなかったけど、元気そうで何よりだった。あのサマソニではストロークスもよかったけど、レディオヘッドがサプライズでCreepを演奏して、本当に感動したなあ。
また、2年に1回くらい、自分の中でWINOブームがあって、CDを引っ張り出したりして聴いていた。引っ越しのときにCDを整理して収納してしまったので、2018年くらいからは全く聞かなくなってしまったけど…。ちなみに売却したり捨てたりはしていないので、クローゼットのどこかに眠っている状態。
WINO解散の原因や理由?
WINOの解散発表はあまりにも突然でその原因や理由について、メンバーは語っていないと思う。4thアルバム『EVERLAST』は最高傑作だと思っていたから本当に残念だった。解散の理由についてよく言われるのが売上の問題。2ndアルバム『WINO』以降、ライブの集客は下がっていたみたいだし(ハコも小さくなっていった)、特に大きなヒットに恵まれることもなかったから。また、メンバー自身も30歳手前だったから人生の岐路に立たされていたのかもしれない。その他、音楽の方向性、メンバー間の関係性の変化などもあったのかな。でも全て妄想の域だし、今となっては解散理由なんてどうでもいいかなと思う。4枚のアルバム、たくさんの思い出は残してくれたのだから。
音楽雑誌ロッキング・オン・ジャパンへの怒り?
でも、当時は解散してしまった理由はメディアにあるのではと考えてしまっていた。WINOに対して「もっと評価されるべき」みたいな考えを持つファンが多かったと思う。自分もそのうちの一人だった。最後の最高傑作『EVERLAST』なんて、ほとんどの音楽メディアは取り上げなかった(すべてのメディアをチェックしているわけではないので断言はできないが)。特にロッキング・オン・ジャパンに対し怒りがこみ上げてしまっていた。ここからの話は二十歳の若気の至りということでご勘弁を…。
鮮明に覚えているのだが、『EVERLAST』発売時にWINOが取り上げられているかを楽しみにROCKIN’ON JAPAN 2002年9/10号 Vol.228をチェックしたところ、まさかのレビューのみの記載だったことに驚いた。こんなに「ロック」しているアルバムなのにロックと名の付く音楽誌は取り上げないのか…と。しかもミュージシャンのaikoさんの浴衣グラビアが巻頭カラーでブチ抜き6ページくらいだったので、それはロックではないしちょっとおかしいんじゃないかと、ロッキング・オンのBBSに書き込んだことがあった(もちろんaikoさんは悪くない)。
BBSではまあまあの反応を頂いた記憶だが、好意的な意見もあればそうでないものもあった。でも「だったらお前が取り上げたらいい」みたいな返信があって、書き方にちょっとムカっとしたけど、それには納得してしまった。ロッキング・オン・ジャパンも商業誌であり、掲載には企業が広告料としてお金を払うこともあるし、編集部が取り上げたいものを取り上げる。そこに『EVERLAST』が掲載候補として入らなかっただけのこと。「過小評価されていると感じるなら自分で取り上げたらいい。」という考えを二十歳の私は持っていなかった。このときの怒りやBBSの書き込みが後の自分にとって大きな力となっていくのだった。
それと、2004年以降だと思うが確か早稲田大学の学祭とかで開催された田中宗一郎さんのトークショーイベントに参加したことがあって、内容は忘れてしまったけどWINOに関しての質問をさせて頂いたことも思い出した。
音楽好きの学生が集うCRJ-Tokyoに参加
将来は音楽関係の仕事に就きたいという想いがぼんやりとあって、ネットで検索してたところ「CRJ」という音楽好きの学生が集まる団体を発見。かなりマニアックな感じがして、面白そうだったので応募したところ、2004年9月に加入できることになった。加入前、アルバイトだと思って応募していたので、ボランティアと知ったときに少し落胆したのもいい思い出だ。
国内アンダーグラウンドシーンやほとんど言及されていない海外ミュージシャンを独自のチャート形式で毎週発表していく学生団体でCollege Radio Japanの略がCRJ。北海道札幌・東京・名古屋・関西・福岡に支部があって、私は東京の学生団体に所属したのだった。当時、自分も結構音楽を聴いている方だと思っていたが、上には上がいて、さらに多種多様な音楽を知ることになった。特に都市部ではないローカルで活動する人たちがいることを知って、とても興味が湧いた。さらにはそれを支えるイベンター、フリーペーパーやファンジンを作る人、海外ミュージシャンを個人で招聘している方、街のローカルなレコードショップやライブハウスからイベントスペースなど、そこには自分の知らない世界が広がっていた。
それを考えるとWINOはメジャーバンドだし、評価されていないなんてことはなく、とても有名なミュージシャンなんだなと思いを改めた。もっともっと地下にいるミュージシャンがたくさんいて、そして音楽的にもユニークでポテンシャルを持っている。取り上げるメディアなんて全く無いから、自分たちで動いてシーンを作っていく面白さがあった。
CRJではカレッジチャートのほかに、ライブイベントの開催、フリーペーパーも作っていたので、毎回新しい体験ができた。フリーペーパーやチラシを色んなお店に置きにいったり、ライブ後に出入り口で配布したりする中で交流が生まれていったし、すごく楽しかったし、音楽仲間もできたりした。
音楽配信サイトrecommuni(現OTOTOY)スタッフとして
大学1年のときに転学科試験に合格し、2年から自分が面白いと思う勉強ができる環境に移ることができた。ゼミの先生にも恵まれ、1960年代後半からの世界情勢と音楽を絡めて卒論を書いた。ちぐはぐとした内容ではあったが、学生運動、ベトナム戦争、ウッドストック、Band Aidなどを軸として音楽や歴史に触れる機会となった。
卒業後はrecommuni(レコミュニ)という音楽配信サイトのスタッフをしていた時期があった。2006年当時はまだCD全盛期だったため、音楽配信サイトは少なく、あったとしても成功しているサイトはほぼ無かったと思う。レコミュニはマニアックな音源のあるサイトとして多少は認知されていたものの、売上は厳しかった。そんな中でもメールマガジンの執筆や音楽イベントの主催も許していただき、2006年夏くらいから2008年くらいまで在籍していた。ご迷惑やご面倒をおかけしたが、会社の方々には本当に感謝している。
現在はOTOTOYとして音楽配信・ニュース・イベントなど、多岐に渡ったサイトに生まれ変わっている。ミュージシャンやアイドルのインタビューもあるので、閲覧している方もたくさんいるかと思う。
京都の音楽・情報サイト[sweet music]を立ち上げ
東京で生まれ、東京で育ち、そろそろ離れてみたいという気持ちが徐々に増えていった。だがいきなり海外や北海道も勇気がいるなと思ったので、たまに行っていた関西に決めた。大阪よりは京都への憧れもあったのと、音楽も盛んなので2008年初夏、京都市内に移住。仕事終わりや週末に京都メトロ、アバンギルドを中心にライブによく行った。海外ミュージシャンの来日公演も京都に寄ってくれたし、東京よりもハコが小さかったので、かなり前方で見れたのは嬉しかった。
しかし東京と比較すると音楽メディアは限られていて、ライブ情報を入手する機会があまりなかった。そこでsweet musicという音楽・京都サイトを作り、Twitterと連携して京都府内で私が気になるライブ情報、京都のIT・グルメなどの情報を流すことにした。京都で暮らすということは、これまでの観光とは全く異なり、新しいことや場所・人が見えてくるわけで、日々がとても斬新に映った。また、京都市内で言うと非常にコンパクトな街でありながらライブスポットは数多く、まとめるのが大変なほどだった。サイトやSNSを見てくれる人も多くなっていき、やりがいは感じていた。
せっかく関西圏に住んでいるのだから、サイトとは異なった方法でミュージシャンを取り上げたいと思っていたところ、奈良を中心に活動するLOSTAGEがメジャーレーベル・トイズファクトリーからアルバム『GO』をリリースすることを知り、コンタクトを取ってみた。50人くらいに作品を聴いてもらい、文字数制限なしでレビューを書いて頂き、フリーペーパーとして発刊するという構想があったので、実現化に向けて動いていった。快く引き受けて頂き、私の知人とLOSTAGEの知人の合計82名にレビューを依頼。アジアン・カンフー・ジェネレーションの後藤正文さん、元ナンバーガールのアヒト・イナザワさんや中尾憲太郎さん(まさかWINOのサポートをしてくださることになるとは思いもよらず)など有名な方にも寄稿頂いた。また、snoozerでも音楽評論家として活躍されていた岡村詩野さんにも連絡し、寄稿いただいた。そのほかにも裏表紙を漫画『バガボンド』のタイトルを書いた吉川壽一さんに書いて頂くなど、豪華なものになった。このフリーペーパーは2009年4月からLOSTAGEのライブで配布してもらったり、私が配りに行ったりしたのだが、多くの感想を頂き、新たな交流が生まれていったように思う。企画・編集・デザインをひとりでやっていたので、かなりの制作経験になったのも良かった。詳しくは【フリーペーパー『sweet music magazine 特集:lostage GO – 82人のテクスト』を作りました】を読んで頂けたら。
2009年以降は小さな音楽イベントの開催、京都を中心に活動するバンドの作品リリース時に電子書籍を作り、BCCKSというサイトで公開している。
音楽ライター講座in京都の立ち上げ
2010年頃だろうか。東京で音楽ライター講座を開催している岡村詩野さんを京都に呼ぼうという企画があることをtwitterで知り、ぜひ参加してみたいと思った。しかし、その企画は幻となってしまい、もったいないなと感じていた。それなら私が主催してみようと考え、音楽ライター講座in京都を2012年4月に初開催することとなった。初回は約40名ほど来て頂き、好調なスタートとなった。好きな音楽をたくさんの人に知ってもらいたいという想いがあるリスナーはたくさんいるけれど、どうしたらいいのか分からないだとか、すでに執筆活動をしているがライターとしてもっと成長したいというニーズが関西にもあることが分かって、とても良い機会になった。
その後、不定期で開催し、2017年くらいまで主催者として企画を続けた。岡村詩野さん経由でsnoozer編集長の田中宗一郎さん、久保憲司さん、スピッツディレクター竹内修さんなどをトークゲストとしてお迎えする機会もあり、一定の役割を果たせたと思う。
京都新聞にも掲載していただいた受講生による電子書籍『現代関西音楽帖(2014年3月)』はBCCKSにて無料公開中。
また、講座の課題として持ち込んでいただいた受講生のレビューを中心に掲載していた音楽メディア【ki-ft(キフト)】というサイトも運営し、関西で活動するミュージシャンのインタビューなども公開した。こちらは残念ながら閉鎖となったが、受講生にとってはレビューがどのように受け止められているかを知ることができる場となったはず。その後、京都を拠点に活動するWebマガジン「ANTENNA」が講座の主催となり、受講生の何名かはこのサイトで活躍中。
パンの水先案内人PAINLOTとして
2012年頃からパンが好きになっていった。ストーンローゼズを見にフジロックフェスティバル2012に行ったときにフィールドオブヘブンで食べたルヴァン(東京/長野)の天然酵母パン、京都ナカガワ小麦店の全粒粉パン、東京三軒茶屋シニフィアン・シニフィエのパン、谷中にあった旅ベーグルの店主さん…など、様々なきっかけがあり、またパンの歴史を知ると面白く、世界のパンを調べるようになった。京都市内にはパン屋さんが多く、巡るのも楽しめた。次第に全国のパン屋さんにも行くようになっていき、美味しいパンをみんなで楽しめるイベントをしたいと思うようになった。音楽の方でイベント経験があったので、それを活かして不定期で企画するようになり、これは今でも継続中。ときには東急ハンズ、三越伊勢丹といった大きな企業さんからも仕事を依頼されるまで成長。音楽からパンに興味は移ってしまったが、まだまだ活動したいと考えている。
すべてのきっかけはWINOから始まった
自分の好きなものを知ってもらうにはどうしたらいいか…という問いから、様々なヒントを得て、行動に移していったことで、扉が開いていった。行動力の源として、WINO解散がきっかけになったのは間違いない。
そして、2024年にWINOはまさかのリユニオン(再結成)。翌年の2025年12月28日、バンドでの復活をすることとなった。これは全く想像していなかったけど、メジャーデビューから解散まで、そして空白の23年間を振り返る良い機会になったし、生きていてよかったなと心の底から思った。感動を超えた2025年12月28日のことは次の記事で。
【23年間の心の靄が晴れた日 afterwords:WINO 2025/12/28】に続く…。